沿革
大正 7年
| 創刊号発行、タブ半截12ページ隔日制
会社代表・笹嶋定治
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8年
| 資本金1万円、株式会社に
初代社長に泉茂家 |
昭和 8年
| 2000号発行祝賀会
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17年
| 政府の要請で戦時廃刊(届出7月1日)
印刷専業となる |
18年
| 資本金5万円に増資
取締役社長に野口民治郎 |
20年
| 復刊第1号
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26年
| 6000号記念祝賀会
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28年
| 大火で社屋全焼、分散業務で新聞発行
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29年
| タブ4ページ
新社屋竣工、7000号記念式典 |
36年
| ブランケット大2ページ建てとなる
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43年
| 創刊50周年記念式典
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47年
| 代表取締役社長に佐藤民二郎
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52年
| 新聞用オフセット輪転機導入
資本金1000万円に増資 4ページ建て、随時8ページとなる |
53年
| 創刊60周年記念式典
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54年
| 週2回8ページ建て
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57年
| テープさん孔機、清打ちコンピューター導入
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58年
| 資本金3000万円に増資
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59年
| 新社屋建設に着工
オフセット輪転機ユニット連結16ページ建て 発行体制整う 新社屋竣工 |
63年
| 創刊70周年記念式典
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平成 2年
| モリサワ電算システム導入
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4年
| 紙齢20000号発行記念祝賀会
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5年
| 代表取締役社長に田中昌
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7年
| 北秋支局開設
鹿角面を2ページとし、2版制とする 日刊8ページ 新鹿角支局開設記念祝賀会
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8年
| 北鹿新聞印刷センター完成
オフセット輪転機引き渡し、竣工、始動式 (16ページ対応、うち2個面4色カラー印刷) |
10年
| 資本金6000万円に増資
創刊80周年記念式典 |
11年
| 代表取締役社長に佐藤祥男
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12年
| ホームページ開設
新・新聞編集システム(NEC製)稼働 日刊完全10ページ 森吉支局開設(北秋支局を鷹巣支局に改称) 360歳野球50年史発行 360歳野球大会50回記念祝賀会 |
13年
| 秋田支局開設
文字を拡大、1行11字に(イワタ書体) 毎週1回(金曜日)12ページに 鹿角支局完成披露パーティー |
14年
| 初の女性記者を採用
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15年
| 黒石市の津軽新報社と緊急
事態発生時の新聞発行と印刷に関する援助 協定を締結 一般印刷用のシノハラ製4色機を導入 |
16年
| 大館、鹿角、北秋田の3版制に
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17年
| 印刷部門のISO9001(2000年版)認証取得
森吉支局を北秋田(旧鷹巣)支局に統合 毎週3回(金、土、日曜日)12ページ |
18年
| カラーユニット(6個面カラー)増設
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19年
| 初のフリーペーパー「イッシャー」発行
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20年 | 文字を拡大、1行10字に 創刊90周年記念式典 |
21年 | 新聞編集システム更新(方正製) |
22年 | 電子新聞スタート(ウェイズジャパンと提携) |
23年 | 3月11日 東日本大震災発生 停電のため小型発電機でコピー機 を稼働させ、 A4判8000部を製作・発行 3月12日 緊急援助協定を結ぶ津軽新報社に新聞印刷委託 センターと本社に発電機連結設備を導入 |
24年 | CTP刷版システム導入(大日本スクリーン製) |
25年 | 1ページ15段組みを12段にし、文字を1行13字に |
27年 | 代表取締役社長に田中厚 編集システム更新(NEC製) |
29年 | 11月 新聞輪転機によるLED-UV印刷システム導入 3月21日 北秋田支局を北秋田市花園町へ移転 |
30年 | 1月1日 元旦号で100周年シンボルマーク 「伝え続けます ホクロクの今」を発表 8月22日 一般印刷の全自動製本システム導入 10月8日 創刊100周年 |
令和2年 | 紙齢30,000号となる |
4年 | 印刷センターを増改築後、本社一般印刷機・製本機をセンターへ移設 購読料月ぎめ2,400円に リョービMHI製4色機導入 |