


大館駅から車で二井田(大子内)へ向かう。
どこまでも広がるのどかな田んぼの先に、
太筆でシューッと書いたような薄い雲がかかった青い空が広がっていた。
自然の香りとともに、夏の始まりのような爽やかな風が吹き抜ける場所に、一軒の農家がある。
ここが、世界中で愛されるあのハチが、大正十二年の冬に産声をあげた場所だ。
立派な門構えの前にはハチ公の銅像と石碑が建てられ、ここが物語の原点であることを静かに告げている。
「良作さん、お邪魔しまーす!」
「いぐ来たな。まぁ、ねまれねまれー」
日焼けした顔に深いしわを刻んで、14代当主の齋藤良作さんが温かい笑顔で迎えてくれた。
家に上がらせてもらうと、部屋の真ん中には立派な秋田杉の一枚板のテーブルが置かれている。
天井を見上げれば見事な太い梁が走り、ハチ公の写真や銅像が並ぶ。
窓から入る風に吹かれながら座っていると、いつまでもここにいたくなるような、
ゆったりとした空気に包まれた。




海の向こうから、ハチに会いに
近年は、海を越えてハチの生家を訪れる人もいる。
良作さんに、特に印象に残っている人はいないかと尋ねると、出てきたのは「ウイスキー」だった。ハチへのお供えとして、立派なウイスキーを持ってきた欧米人がいたという。2023年には、熱心なハチ公ファンから花が届けられたそうだ。
遠い国から飛行機に乗り、東京からさらに北へ向かい、田んぼに囲まれた大子内の一軒の家までやってくる。
「ほんっとうに、ありがたいなーって」
良作さんは、言った。
ハチを好きでいてくれること。わざわざ遠くからここまで来てくれること。それがただ、ありがたい。だから良作さんは、ハチを訪ねてきた人が、もっとこの家へ来やすくなるようにしたいと願っている。
ここは今も個人の家だから、「本当に行っていいのかな」「迷惑じゃないかな」と遠慮してしまう人も多いそうだ。生家までの案内があれば、行っていいんだと分かり、訪ねやすくなる。それは観光地として大勢の人を集めたいという欲ではなく、ハチを思ってここまで来てくれた人を、ちゃんと迎えてあげたいという気持ちが伝わってきた。

「良作、いくべ」
そんな良作さんが、この場所を守ってこられた背景には、もう一人、大切な人がいる。同じ地域に暮らし、半世紀ものあいだハチと秋田犬の歴史を守り続けてきた富樫安民さんだ。
ハチ公の慰霊祭がある。講演がある。東京へ行く。
そんな節目になると、安民さんから電話がかかってくる。
「良作、いくべ」
その一言に、「そりゃあ、行かねばね」と良作さんは腰を上げる。
「地域のことだからなぁ」
良作さんはそう言って、それ以上はあまり説明しなかった。
ハチ公生家を守ってきた十四代当主と、ハチと秋田犬の歴史を半世紀にわたり伝えてきた人。そう書けば、なんだか二人とも遠い世界の人のように聞こえる。けれど実際は、同じ地域に暮らす仲間だ。
昔は地域の祭りや集まりも今よりずっと多かった。
誰かの家に人が集まり、食べて、飲んで、困ったことがあれば声をかける。近所の子どもが悪いことをすれば、自分の子でなくても叱る。日本のどこにでもあったのかもしれない、そんな地域のつながりが、この二井田には今もある。
そして、この地域にはつながりの中にハチもいるのだと感じさせられた。

「忠犬ハチ公は私のうちで生まれました」
はずむ会話も終盤に近づいた頃、良作さんが一枚の名刺を見せてくれた。
そこには、こう書かれていた。
――忠犬ハチ公は私のうちで生まれました。
少し照れたようにはにかむように笑う。
「世界一周でもするときは、この名刺の英語版も作って持っていかねばねな」
海外まではなかなか行けないという良作さんの家から生まれたハチは、世界中を旅している。アメリカのテレビにも登場し、映画になり、国も言葉も違う人たちが「HACHI」とその名を呼ぶ。いつか良作さんがその名刺を持って世界へ出たら、どんな出会いが待っているのだろう。

帰り際、風が通り抜ける広いお部屋の中をあらためて見渡してみた。
太い梁。
大きな一枚板のテーブル。
ハチの写真。
そして、「ねまれねまれ」と迎え入れてくれる良作さん。
門の外には田んぼが広がり、ハチ公像が立っている。
世界中で愛されるハチの生家を百年以上守ってきたものは、何だったのだろう。
特別な何かではなく、もしかすると、こうしたいつもの日々の積み重ねだったのかもしれない。
渋谷駅前のハチ公像は、世界の待ち合わせ場所になった。
そして、そこから遠く離れた大館の田んぼの中には、百年前と同じ場所に、ハチが生まれた家がある。
世界中へ広がっていったハチの物語には、今もここに、“帰る場所”があった。



