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創刊100周年企画 古今「秋田犬」

第1部

渡来した縄文犬の末裔 闘犬で絶滅の危機に 日本犬初の天然記念物 泉町長が保存に心血
2018-10-28
1931(昭和6)年に初めて天然記念物の指定を受けた秋田犬「金号」の父犬「栃二号」大館町長で北鹿新聞社初代社長の泉茂家が所有していた
 沈毅(ちんき)にして威厳を備え悍威(かんい)に富み、忠順にして素朴の感あり、地味な中に品位を持ち、感覚鋭敏にして挙措重厚敏活共に備える―。
 秋田犬保存会が1938(昭和13)年に定めた秋田犬標準の一つ、「本質と表現」の解説だ。「沈毅」は物事に動じないこと、「悍威」は強い精神力を意味する。このほか体高や首の太さ、頭の形、歯並び、毛色など計15項目が定義されており、原種保存を目的とした展覧会の審査基準となる。
 こうした基準が設けられたのは、幾度も陥った絶滅の危機が背景にある。
 秋田犬や甲斐犬など日本固有6品種の日本犬は、北欧から中国の一部に渡った「最北系」、朝鮮を経て流入した「中北系」、東インド地方に産(む)す「南方系」の3系統あり、このうち最初に日本へ渡来した最北系に秋田犬が属するとされる。佐賀県内で約7000年前の遺跡から出土した犬の骨のDNA解析で、秋田犬や柴犬などと同じ遺伝子の組み合わせタイプを持つことが分かり、これら日本犬の祖先が縄文時代早期までさかのぼれることになった。
 最北系の犬が東北各地で飼われ、このうちマタギがクマ猟に使った犬が秋田犬の直近の先祖に当たるとされる。犬種名は1931年の天然記念物指定を受けるときに決まり、それまで地名に由来する「大館犬」「鹿角犬」「南部犬」などと呼ばれた。
 大館地方は江戸時代から闘犬が盛んだった。中世浅利氏の時代が始まりという説もある。大館城代の佐竹氏は闘犬で武士の闘志を養ったと伝えられ、「大館犬」も戦った。
 闘犬は動物愛護の観点からたびたび禁止令が出され、一時的に行われなくなったが、明治後期ごろから再燃。より強い犬を求めて土佐犬との交配が積極的に進められるなどし、純粋種が減少した。
 そんな中で1919(大正8)年に史跡名勝天然記念物保存法が施行される。翌20年には動物学者の渡瀬庄三郎・東京帝国大教授が大館を訪れて調査。「純和犬はゼロ」と悲観的な結果しか得られず、指定は見送られた。
 これに発奮したのが当時の大館町長で北鹿新聞社初代社長の泉茂家(1885~1937年)。愛犬家でもあり、この時点で純大館犬は茂家所有の雄1匹と大館周辺の雌4匹だけだった。これでは近親交配の弊害が生まれかねないとして、かつて茂家が山形県知事に贈った雄犬のもとに大館から雌犬を連れて行き、交配させるという苦心を重ねた。県北の山中にも純粋種を探し回り、種牡犬として後々まで珍重された「栃二号」を見つけ出している。この間の1927年に秋田犬保存会が設立。初代会長は茂家が務めた。種の保存に心血を注いだ結果、再び調査が行われ、31年7月に秋田犬は日本犬として最初の国指定天然記念物となった。
 この1年後、帰らぬ主人・上野英三郎博士を渋谷駅で待ち続ける忠犬ハチ公の記事が全国紙に掲載され、秋田犬は一躍注目を集める。
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