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創刊100周年企画 古今「秋田犬」

第1部

終戦直後、純粋犬種は20匹とも 展覧会は中断 戦禍で存亡の機再び 軍用や毛皮、食用にも
2018-10-30
秋田犬買い上げの広告。軍用化に向けた動きは確かにあった(1940年1月18日付北鹿新聞)
 秋田犬保存会は1937(昭和12)年に犬籍登録を始め、38年に秋田犬標準を制定した。展覧会も開かれるようになったが、41年の太平洋戦争勃発で一時中断。戦争は人間だけでなく動物にも暗い影を落とした。
 秋田犬が軍用として使われることは少なかったものの、毛皮用や食用にされ再び存亡の機に立たされた。
 陸軍歩兵学校は大正時代に軍用犬の研究を始めていた。荷物運搬や伝令など支援任務を中心としたもので、秋田犬も試されたが早々に失格と判定。忠誠心が厚いものの、飼い主以外の命令や指示には従わない点が不向きだったようだ。
 それでも、35年には帝国軍用犬協会と日本犬保存会が秋田犬の軍用化に向けて共同研究を行い、戦地で活躍した秋田犬が少なからずいた。日中戦争まっただ中の39年、秋田犬保存会から地元部隊が購入、軍用犬として採用された「十和田号」。出征後1年余の間に30回ほど戦闘に参加したことが当時の新聞で報道された。中国戦線で敵軍用犬とみれば食らいつき、敵兵を見逃さず精悍(せいかん)無比な勇奮ぶりを発揮した―との報が、当時の保存会長を務めていた平泉栄吉にもたらされた。
 戦局が悪化すると、軍隊の防寒衣服用に毛皮を使うため飼い犬の供出運動が始まる。天然記念物に指定された秋田犬は原則として対象外だったものの、登録が思うように進まない状況などから献納せざるを得なかったとみられる。
 犬の餌も入手困難になり、食糧の無駄遣いとみなされた飼い主が「非国民」と非難を浴び、秋田犬は食用としても狙われた。終戦直後の純粋犬種は20匹前後だったとの説もあり、飼い主や家族が山中に隠すなどして必死に守ったのだろう。第11回展覧会(戦後第1回)は47年11月に大館町城南小学校で開き、35匹が出陳。翌48年4月の第12回は63匹と盛会を極めた。平泉会長は49年に初めて発行した会報でこうつづっている。「戦争のため万事休止の状態であり、各犬も皮となり食肉となったが、その中にあっても吾々は種族の保存に苦斗を続けてきた」
 歴史に翻弄(ほんろう)されてきた秋田犬はようやく本来に近い姿を取り戻し、50年ごろから各地に保存会の支部が設立、飼育頭数は破竹の勢いで増えた。72年のピーク時は登録4万6225匹に達した。
 戦後日本を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)の米軍将兵は、米国にいない犬種の秋田犬を好んで飼育した。帰国時に持ち帰り、シェパードなどと交配。こうして繁殖した秋田犬は独自の犬種となり、「アメリカン・アキタ」と呼ばれた。
1940(昭和15)年5月の秋田犬展覧会を伝える北鹿新聞。「軍用犬として戦線に活躍」との記述もある
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